奈良市の概要
奈良市は、北端に位置し、古くは710年に平城京として開都、東大寺・興福寺等の門前町として栄えました。東大寺をはじめとする多くの寺院、原始林、宮跡からなる「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産リストに登録され、月ヶ瀬地域の名勝「月瀬梅林」などが観光資源として加わり、これらの資源を適正に保存し、新たな魅力を創造するための施設整備や事業を展開し、国際的な文化観光都市として今に至ります。
奈良のあゆみ
奈良市の歴史ははるか昔の弥生時代まで遡る事ができます。旧石器・縄文時代の土器や石器も出土し、弥生時代の遺跡は佐紀町、柏木町、杉ヶ町、窪之庄町など市内各地で発見され、稲作に適した地に、「ムラ」ができていたと考えられています。
4世紀ごろの古墳時代、有力な豪族などが大和盆地に大きな墳墓を作るようになります。6世紀の末頃からは、一族である大宅・小野などの諸氏が力をもつようになります。そして、710年(和銅3年)飛鳥の藤原京から奈良へ都が移され平城京が築かれます。70年あまりの間、平城京は古代日本の首都として栄えることになったのです。平城宮から南に走る朱雀大路を中心に、大路と小路によって整然と区画され、壮麗な宮殿や寺院、貴族の邸宅によって美しく彩られていました。唐の都・長安にならった規模雄大な都市計画は、最盛期の人口約10万、唐をはじめ渤海・新羅など異国の人たちの来訪もあり、天平文化の花を咲かせたのでした。
しかし、都が京都に移ると、平城京の跡はまもなく田んぼになってしまいますが、諸大寺がそのまま残ったおかげで、奈良は社寺の町として新しい歴史を歩むことになりました。勢いをのばした興福寺をはじめ、東大寺や元興寺の周りに次第に「まち」が生まれ、奈良の原形が作られていきます。そして、1180年(治承4年)平氏の焼き打ちにあい、奈良は全滅に近い打撃を受けますが、東大寺・興福寺の再建も成って、奈良の町は見事に復興します。13世紀の末には数十の町を数え、15世紀末には、京都に次ぐ日本第2の都市として繁栄します。そして時代は江戸時代を迎えます。
江戸時代には、幕府の直轄領として奈良奉行の支配下におかれました。有力な町人の中から数人の惣年寄が選別、奉行の命令を受け、町政にあたります。17世紀末には、総町数205、人口3万5千人と記されています。奈良晒をはじめ酒・墨・甲ちゅう・刀・団扇などの特産品に富んだ産業都市だったといえます。
明治維新を迎えた奈良は、1871年(明治4年)の廃藩置県で大和全体を管轄する奈良県が生まれます。奈良に県庁が置かれましたが、1876年(明治9年)奈良県が廃止され、大和は堺県に続いて大阪府に属することになります。1887年(明治20年)奈良県の再設置が認められて、奈良に新しい息吹を与えることになり、1898年(明治31年)待望の市制が施行されます。 大阪、京都へ鉄道が通じ、奈良公園の整備が進むと、県政の中心地としての奈良市は、近代化をめざして着実な歩みを進め、今に至ります。
奈良の由来
奈良という地名は、奈良盆地の「均したような」平坦な地形に由来しているといわれています。
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奈良市役所埋蔵文化財調査センター |
| 住所: |
〒630-8135
奈良県奈良市大安寺西2-281 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0742-33-1821 |
| 開館時間: |
9:00〜17:00(入館は午後4時30分まで)
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| 休館日: |
土・日曜日、休日、年末年始(12月28日〜1月3日)
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| 入館料: |
無料
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